「無神論者:自分が信じている神だけを信じない人」
私は何の根拠もなく無神論者なわけではありません。アッラー、ヤハウェ、イエス、マリア、エル・シャダイ、キリスト教の神を信じていませんが、その代わりにキリスト教徒もアッラーやシヴァを信じていないので無神論者です。ですからキリスト教徒が認める唯一の神はキリスト教徒の神であり、彼らが知っている他の神、さらには知らない神さえも信じていません。しかし、これらの神々は、もしそのうちのどれか、あるいはいくつかが存在するなら、おそらくそれらを知っていて認識しているでしょう。なぜなら、存在することと信じるということは互いに素な対であり、一方が他方の論理的存在文脈で必ずしも言及されるわけではないからです。信じないことは存在の可能性を排除するものではありません。999年より前、アマゾンの存在は知られていませんでしたが、それはすでにそこにありました。
信仰は、存在の属性や証拠によって正当化されるのではなく、信仰によってのみ正当化されます。物質的な証拠がなければ、信仰、真実、知識、無知、証拠は分離してしまいます。不条理への期待でなければ、信仰や無神論の本質とは何でしょうか。
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