quinta-feira, 13 de março de 2025

マックス・ウェーバーの世俗世界におけるプロテスタント的キリスト教倫理

マックス・ウェーバーの世俗世界におけるプロテスタント的キリスト教倫理



この汚職論争は行政の無能さを隠すためだけのものだと思う。
中国を再訪したマックス・ウェーバーは君主制と共和制を混同し、君主制の富が公共資産と混同されていることを忘れていた。米国が公と私を切り離すこの紛らわしい共和制の倫理を導入したのはここ150年ほどだが、数兆ドルのヒールではあまり導入されておらず、ほんの数例を除いて一度も機能していない。したがって、リーダーが金持ちになるのを阻止しようとすることは、王、ファラオ、アッシリア人、エジプト人、パシャ、マハラジャ、王の時代から人類の文明に対する暴力であり、その後ルネッサンスと啓蒙主義が到来し、宗教的信仰、売春、虚栄心、嫉妬、自尊心など、人間の慣習によって決して放棄されない内在的な慣習を廃止しようとする異国の人間中心主義によって作られた新しい倫理が生まれたが、誰がこれに終止符を打つのだろうか?国を大事にし、国民に愛され、進歩をもたらし、国民の尊厳、秩序、進歩を保証する君主、大統領、独裁者であれば、誰が、あるいは何が盗んで金持ちになっていようと、私には関係ない。


Roberto da Silva Rocha, professor universitário e cientista político

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